LOGINリチャードは、言われた通りにしただけだ。
多少、真っすぐすぎる形ではあったが。 ヘレンはそこまで考えて、かすかに眉を寄せた。 やはり、あの子にも少しは言うべきだったのかしら。 エミリーのことは優しさだけで抱えられる相手ではないと。 ただ可哀想な従妹ではなく、家の大人たちが面倒を押し込め合った結果なのだと。 そう思いかけて、ヘレンはすぐに首の内側でその考えを打ち消した。 いいえ、と。 そんなことを教えたところで、あの子がうまく立ち回れたとは思えない。 むしろ余計な顔色をうかがって動きが鈍るだけだろう。 リチャードはもともと駆け引きに向いた性格ではない。だからこそ、周囲が整えてやる必要があるのだ。 整えてやる。 そのつもりで、ヘレンは今までやってきた。 エミリーには過不足なく居場所を与え、リチャリチャードは、言われた通りにしただけだ。 多少、真っすぐすぎる形ではあったが。 ヘレンはそこまで考えて、かすかに眉を寄せた。 やはり、あの子にも少しは言うべきだったのかしら。 エミリーのことは優しさだけで抱えられる相手ではないと。 ただ可哀想な従妹ではなく、家の大人たちが面倒を押し込め合った結果なのだと。 そう思いかけて、ヘレンはすぐに首の内側でその考えを打ち消した。 いいえ、と。 そんなことを教えたところで、あの子がうまく立ち回れたとは思えない。 むしろ余計な顔色をうかがって動きが鈍るだけだろう。 リチャードはもともと駆け引きに向いた性格ではない。だからこそ、周囲が整えてやる必要があるのだ。 整えてやる。 そのつもりで、ヘレンは今までやってきた。 エミリーには過不足なく居場所を与え、リチャードには重すぎる話を聞かせず、婚約者には賢明な理解を期待する。そのくらいで、十分に回ると思っていた。 なのに、回らなかった。 屋敷へ着くと、出迎えた使用人がヘレンの外套を受け取る。 彼女はそのまま居間へ向かった。少し遅れて、夫のエドマンド・グランヴィルも入ってくる。「どうだった」 短く問われ、ヘレンはソファへ腰を下ろした。「思ったより頑なでしたわ」 「イブリン嬢がか」 「ええ。アシュフォード夫人も姉君も、きちんと脇を固めていましたし」 エドマンドは眉をひそめた。「若い娘の意地では済まない、ということか」 「そういうことです」 ヘレンは帽子の留め具を外しながら言った。「ただ腹を立てているだけなら、もう少し揺れたでしょうね。でも、あれは違いましたわ。ずいぶん前から積もっていたのだと思います」 夫はしば
アシュフォード家の屋敷を辞したあと、馬車の中でヘレン・グランヴィルはしばらく黙っていた。 窓の外では、曇り空の下を石畳が滑るように後ろへ流れていく。 揺れは穏やかだったが、気分は少しも穏やかではなかった。 まったく、と思う。 あの程度のことで、どうしてここまで話がこじれるのだろう。 リチャードに配慮が足りなかったことは認める。あの子は昔から、目の前で弱っている相手を見ると、ほかが見えなくなるところがある。 たった一人の息子で、気立ても悪くなく、情にもろい。 長所と短所は裏表だ。母親として、そこを知らないわけではない。 だからこそ、今回も少し時間を置いて、きちんと順を追って話せば済むと思っていた。 イブリン・アシュフォードは聡明な娘だと聞いていたし、実際そう見えていた。 感情のままに騒ぐ娘ではない。家の事情も、婚約の重みも、それなりに分かっているはずだった。 ――なのに。 ヘレンは膝の上の手袋へ視線を落とした。 今日のイブリンは、礼を失したわけではない。口調も穏やかだった。 けれど、あの静かな拒み方がいちばん厄介だった。 泣いたり、怒ったり、意地を張ったりしている娘なら、なだめようもある。こちらが一段高いところから包むように話して、機嫌を直させることもできる。 けれど、あれは違った。 もう決めている時の顔だった。 しかも、自分が理にかなっていると知っている顔だった。 そこまで考えて、ヘレンは小さく息をつく。 アシュフォード夫人も厄介だった。 物柔らかな顔で座っていながら、ひと言ひと言がこちらの逃げ道を塞いでくる。 娘を守ることを、少しもためらわない顔をしていた。 ああいう母親が後ろについているなら、イブリンが思いのほか強情になるのも分か
夫人はすぐに表情を整えた。「ただ、イブリンさんのように賢く、落ち着いたお嬢さんなら、今回のことも少しお時間を置けば、違った見え方になるのではないかと思いましたの」 その瞬間、自分の中で何かがすうっと冷えた。 賢い。落ち着いている。 違った見え方。 言い換えれば、今は感情的になっているだけで、そのうちこちらに合わせた考え方へ戻るだろう、と言っているのと同じだった。 私は顔を上げた。「違った見え方、とは?」 奥方は一拍おいてから答えた。「たとえば、婚約というものは、ふたりだけのものではありませんでしょう。家同士のお付き合いもありますし、身内に少々厄介な事情がある時には、互いに少しずつ譲り合っていくことも必要かと」 私はそれを聞きながら、唇の内側をそっと噛んだ。 厄介な事情。少々。譲り合い。 やっぱり全部、向こうに都合のよい言い換えだった。「譲り合い、ですか」 気づけば、そう口にしていた。「ええ」 「私ばかりが譲っていたように思いますけれど」 応接間が静かになった。 言い方はきつくなかったはずだ。 でも、その言葉は思っていた以上にはっきり響いたらしい。 夫人は一瞬だけ目を瞬かせ、それからかすかな笑みを戻した。「そう感じさせてしまったことは、残念に思いますわ」 その返しに、私は少しだけ目を伏せた。 ――感じさせてしまった。 そこでもまだ、事実ではなく受け取り方の話にされるのだ。「リチャードにも、今後はもっと気をつけるよう、私どもからもよく申します。ですから、どうか今回のことだけで」 「今回のことだけではございません」 自分でも驚くほど、きっぱり言えていた。
翌日の午前、お父様から「先方の奥方がいらっしゃる」と聞かされた時、私は思っていたより平気だった。 驚かなかった、というほうが近いかもしれない。 あの返書を読んだあとでは、向こうがこのまま引き下がるとは考えにくかったし、むしろ誰かが直接こちらへ来るほうが自然に思えた。 花で済ませようとして、書面でもまだ「少し時間を置けば」と言ってくるような人たちだ。 顔を合わせれば丸く収まると、きっとまだ思っているのだろう。 私は居間の窓辺で、手にしていた本を閉じた。 読んでいたつもりだったけれど、何が書いてあったのかはほとんど頭に入っていない。 外では薄曇りの空の下、庭師が剪定した枝をまとめていた。鋏の小さな音が、とぎれとぎれに聞こえてくる。「会ってみる?」 お母様がそうおっしゃったので、私は少しだけ考えた。 考えるまでもないことのようでもあったし、ここで逃げるのも違う気がした。「ええ」 私は答えた。「お会いします。けれど、二人きりでは嫌ですわ」 「もちろんよ」 お母様はすぐにそう言ってくださった。 その一言だけで、胸の内のこわばりが少しやわらぐ。 前なら、婚約者の母君がいらっしゃるのなら、無礼のないように、穏やかに、とまずそちらを考えただろう。 けれど今は違う。私はもう、向こうに都合のよい聞き分けのよさを見せるために座るのではないのだ。 お母様のほかに、キャサリン姉様も同席することになった。「あなた一人に受け答えをさせる気はないわ」 そう言いながら、姉様はこともなげに手袋の指先を整えていた。 その落ち着きが、ありがたい。 約束の刻限が近づくにつれ、不思議と気持ちは静まっていった。 怖くないわけではない。 ただ、昨日までの
私は膝の上に置いた手をそっと重ねた。 腹が立っているはずなのに、どこか冷めてもいた。 ここまで分かりやすく書かれると、むしろ迷う余地がなくなる。「見事ですこと」 お母様が言った。「こちらの娘が繰り返しないがしろにされたことは“若さ”で済ませて、まだ譲れとおっしゃるのね」 「しかも、理知的で思慮深いから我慢できるだろう、と」 ハロルド兄様の声には、もう隠そうともしていない苛立ちがあった。「結局そこなんだよな」 ジョン兄様が壁にもたれたまま言う。「イブリンなら飲み込むだろう、って最初から思ってる」 私はようやく口を開いた。「……先方は、本当に婚約解消になるとは思っていないのですね」 自分でも驚くほど、平板な声だった。 お父様が私を見る。「そうだろうな。少し宥めれば戻ると考えている」 「花でも届ければ済む、と」 私がそう言うと、キャサリン姉様が小さく頷いた。「ええ。そして、時間を置けばこちらの気持ちもなかったことにできる、と思っているのよ」 その言葉は、私の胸にすとんと落ちた。 まさしくその通りだった。 リチャード本人がそう思っているだけなら、まだ若さや鈍さのせいとも言えたかもしれない。 けれど、この返書を読む限り、それは家ぐるみの考えなのだ。 あの人が何も分かっていないのは、ひとりだけの浅さではない。「“従妹の身の上についても、いささか気の毒な事情”」 お母様がその箇所を繰り返す。「ずいぶん都合のいい書き方ですこと。詳しくは言わないけれど、こちらは察して大目に見なさい、というわけね」 「しかも、その事情をリチャード自身にどこまで知らせているかも怪しい」 お父様が便箋をたた
先方からの返書が届いたのは、その日の午後だった。 昼食を終えて、私は居間でキャサリン姉様と向かい合って座っていた。 姉様は刺繍枠を手にしていたけれど、針を動かすより私の顔を見ている時間のほうが長かったと思う。 私のほうも、本を開いてはいたものの、同じ行を何度も目で追っているばかりだった。 執事が入ってきた時、その表情を見ただけで分かった。「お父様からですか」 「はい、お嬢様。皆様、書斎へお集まりくださいとのことです」 姉様と私は目を合わせた。どちらからともなく立ち上がる。 廊下を歩きながら、私は妙に落ち着いていた。 返事が来ることは分かっていたし、その中身が素直な詫びだけで済まないことも、もう何となく分かっていたからだ。 書斎へ入ると、お父様は机の向こうではなく、窓際の長椅子の近くに立っていた。 お母様もいらして、ハロルド兄様とジョン兄様もすでに揃っている。皆の顔を見る限り、まだ手紙は読まれていないらしかった。 「来たよ」 お父様がそう言って、封筒を軽く持ち上げる。 上質な紙に、整った筆跡。 いかにも、失礼のない文面であろうことが見て取れた。「読んでしまいましょう、お父様」 キャサリン姉様が言うと、お父様は頷き、封を切った。 紙のこすれる音だけが、やけにはっきり聞こえた。 お父様はまず一度、黙って目を通した。 そのあと、口元だけがわずかに固くなる。「読んでくださいます?」 お母様が静かに促すと、お父様は便箋を持ち直した。「“先日は、若い者どうしの行き違いが思わぬかたちでご心痛をおかけしたこと、残念に存じます”」 私はそこで、早くも気持ちが冷えた。 ――ご心痛。 なるほど、そう来るのかと思う。約束







